紀元前2世紀ごろ成立し、繁栄を極めた6世紀には20万人以上の人口を擁したとみられている。巨大なピラミッドは、タルー・タブレロ様式と呼ばれる傾斜面と垂直面を組み合わせた構造をしている。このピラミッドは、宗教儀礼のために造られたもので、最上部には神殿があったという。「羽毛のある蛇」ケツアルコルトルが水と農耕の神として崇拝され、周辺の民族にも文化的影響を与えた。強大な国家だが軍事的支配を行うことはなく、平和的な文明国家だったと見られている。その後急速に衰退、放棄されたがその理由は今も分かっていない。
15世紀にアステカ人がこの地を訪れたとき、彼らはここを神々の都市だと考えた。神々の集う場所「テオティワカン」、「太陽のピラミッド」、「月のピラミッド」はこのとき彼らが名付けたものだ。
ユカタン半島を中心に栄えたマヤ文明を代表的する都市国家、チチェン・イツァ。その名称は「泉のほとりのイツァ民族」という意味で、川がひとつものないユカタン半島において、水の恵みをもたらす聖泉(セノテ)が命の起源であり都市の生命線だったことがわかる。
この都市は大きく旧チチェン・新チチェンに分かれる。7世紀に最盛記を迎えたあと放棄されたのが旧チチェンであり、その後10世紀から13世紀にかけて再び栄えたのが新チチェンだ。
旧チチェンは農耕的で平和的な性格を示しており、雨の神チャックが信仰の対象であったが、新チチェンはトルテカ文明との交流により、戦闘的な性格を強めた。ドクロや戦士の像、力の象徴としてのジャガーやワシといった装飾が多くなり、人を生け贄にする儀式も盛んに行われた。
カスティージョと呼ばれるピラミッドは特に有名で、それ自体が暦を示しているだけでなく、春分と秋分の日にはククルカン(羽毛の蛇)のシルエットが現れる。マヤ人の天文学・数学・建築学の結晶だ。
7世紀から12世紀までのマヤ古典期に栄えた遺跡。プウク様式と呼ばれる装飾が特徴だ。プウク様式とは、壁一面に彫刻を施した石を組み合わせて複雑なモザイクやきれいなモチーフを造り出す様式だ。また、切石を少しずつせり出すことによってアーチを造り出す、マヤ・アーチもプウクの特色である。
建造物に降る雨水は全て一カ所に集まるようになっていて、この地ではいかに雨が大切な恵みなのかが分かる。
小人が一夜のうちに作り上げたとという伝説から名付けられたのが「魔法使いのピラミッド」で、丸みを帯びたシルエットは優雅で美しい。
ウシュマルから20kmの位置に位置するのがカバー遺跡。マヤ語で「手作り」という意味だ。カバーはウシュマルの姉妹都市で、二つの都市の間には今でも一本の道(サクベ)が続いている。この遺跡もプウク様式が踏襲されており、なかでも雨神チャックで埋め尽くされたコズ・ホープは一見の価値がある。
他の有名な遺跡に比べ、入り口もシンプルであまり観光地化しておらず、人も少ないのでおすすめだ。
ウシュマル周辺には他にもラブナ・シュラパック・サイルといったマヤ遺跡が存在する。ウシュマルを含めて一日で全てを回るバスがあるようなので、機会があれば是非訪れてみてはいかがだろうか。