12世紀前半、時の国王スールヤヴァルマン二世によって築かれたヒンドゥー教寺院。ヴィシュヌ神に捧げられた寺院であると同時に、王自らを埋葬した墳墓でもあったとされる。クメールの他の多くの遺跡が東を正面としているのに対し、アンコール・ワットは正面が西向きであるためだ。
王は神々の化身であると同時に、神の世界と人の世界にまたがる存在でもある。王は自らその権力の正当性を示すため、「天空の楽園」をこの地上に示す必要があったのだ。
内戦やポルポト派政権下での大虐殺といった暗い時代を経て平和を取り戻したカンボジアにとって、アンコール・ワットは過去の遺産ではなく、民族の誇りであり復興のシンボルでもある。
アンコール・トムは、旧都ヤショダラプラに覆い被さるようにして12世紀末から13世紀初頭、ジャヤヴァルマン七世によって建設された。1177年、ベトナムのチャンパ軍によって陥落した王都を復興したジャヤヴァルマン七世は、救国の王として現在でもなお人気があり、病院の屋上やホテルの部屋の中など、いたる所でその像が見受けられる。彼は熱狂的な大乗仏教の仏教徒でもあり、衆生の救済がアンコール・トムのメインテーマとなっている。
アンコール・トムの中心に位置し、「クメールの微笑み」として知られる四面塔で有名な仏教寺院。アンコール史にその名を遺すジャヤバルマン七世によって12世紀末に建設された。この四面仏、今では観世音菩薩として定着しているが、はじめはヒンドゥー教のブラフマー神だと考えられていた。その後アンコール・トムは旧都ヤショダラプラだとされ、その中心にあるバイオンはシヴァ神を祭ったものだという解釈が長い間定説となっていたようだ。
巨大なスポアン(ガジュマル)によって崩壊がすすむタ・プローム。この遺跡は修復や樹木を取り除かず、自然の力に任せている。巨大な熱帯樹が遺跡を飲み込んでいく姿には圧倒される。樹の根は礎石の間に入り込み、建物を引き裂いて崩していく。
ジャヤヴァルマン七世が母の死を悼んで1186年に建立した仏教僧院だが、後にヒンドゥー教寺院となったようだ。
アンコール・ワットやバイヨンに比べると、人影は少ないほうだが、それでも多い。このような遺跡には静寂が似合うのだけれど。
車窓から農村の人々の生活を眺めつつ、シェムリアップ市街から北東へ40km移動すると、バンテアイ・スレイが見えてくる。ラテライトと紅色砂岩で紅に染まった、ヒンドゥー教の寺院だ。小振りで可憐なこの寺院は、精密で彫りの深い彫刻の数々で満たされ、洗練された美しさを持っている。アンコールで最も美しい遺跡だという声も多い。
作家アンドレ・マルローがその美しさに見せられ、盗掘を試みて逮捕されたことで一躍有名となった「東洋のモナリザ」は、現在は立ち入り禁止エリアの中にあり、近づくことができない。残念だ。

クメールの文化には、たくさんの架空動物が存在する。神々に比べると、その多くが土着信仰に結びついており、より身近な存在と言えよう。ここではナーガ・ガルーダ・マカラ・カーラについて紹介しよう。
ナーガはインドの先住民時代から信仰され、アーリア人にも取り入れられた蛇神であり、それが東南アジアに伝わったとされる。ナーガは水との結び付きが強い。河川は土地を肥やし、豊穣をもたらし、輸送手段を提供する。そのような五穀豊穣への願いが、ナーガに込められているのだろう。
ガルーダはヴィシュヌ神の乗り物として知られている。半人半鷲の聖なる鳥とされる。ナーガの天敵であり、ナーガを踏みつけるガルーダが一体となってデザインされていることも多い。
マカラはインド神話に登場する巨大な魚で、ワニをモデルに作り出されたとされる怪物で、象のような鼻をもち、顔と前足は獅子のようであり、体は魚である。日本の仏教寺院でも装飾として見ることができ、またシャシホコの起源である、ともされる。
カーラはヤマ(閻魔大王)の別名だともされ、代表的な装飾モチーフである。顔面しかない理由には諸説ある。ひとつは食欲旺盛で自らの手・足・体を食べ尽くしてしまったというものである。もうひとつは、乳海攪拌で首を切られた阿修羅だというもので、ちょうど薬を飲んだ瞬間だったために頭部が不死となったというものだ。